[お披露目会]や[お食事会]を 高千穂エリアでの神社挙式をお考えの方は、専門サイト 高千穂ウエディングもご参照下さい。 |
そんな宮崎県で神社挙式に携わるスタッフ達が、この目で見て、耳で聞き、
身体で体験したとっておきのパワースポット、スピリチュアルスポットのご紹介です。
カップルでのドライブや、家族旅行で楽しまれたり神前結婚式だって挙げられる場所もたくさんありますので、
一度行かれてみてはいかがでしょうか。
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天に浮かぶ“高天原(たかまがはら)”にいた神々は、男の神さまのイザナギと、女の神さまのイザナミにむかって、「これからお前たち二人が力をあわせて、人が住めるような国をつくりなさい」と命じた。イザナギとイザナミは、高天原と“地”との間に浮かぶ“天の浮橋(あめのうきはし)”に降り立つと、天の沼矛(あめのぬぼこ)という刀を“地”に向けて差し降ろし、矛先から滴り落ちるしずくで、一つの島をつくった。これが「オノコロ島(高千穂町)」である。これを機に、国生みが始まる。2つの神は、lその島に降り立ち、淡路島、四国、壱岐島、対島、佐渡島を次々に生み、最後に本州を生んだ。
イザナミは火の神を生んだ時にやけどを負って亡くなり、悲しみを負ったイザナギは、イザナミを連れ戻そうと、黄泉の国に出かけた。しかしそこにいたのは朽ち果てたイザナミの姿だった。イザナギはそこから逃げ出し大きな石で黄泉の国への入り口をふさいだ。黄泉の国のけがれを清めるため、日向の橘の小戸の阿波岐原(宮崎市江田神社)に出かけ、そこで“みそぎ”をすることにした。するとたくさんの神が生まれ、天照大神(アマテラスオオミカミ)も生まれた
アマテラスオオミカミは地上の国を治めようと孫のニニギノミコトを天下らせた。これを天孫降臨と言う。ニニギノミコトは下界を統治するために、高千穂の峰に天下り、逢初川(西都市)に水を汲みにきていたコノハナサクヤヒメに出会い結婚した。これが婚姻のはじまりである。そこで生まれたのが、浦島太郎伝説のモデルとされ「海幸彦と山幸彦」の説話で知られる、ホデリノミコト(海幸彦)とホオリノミコト(山幸彦)である。
そしてこの系譜が初代天皇である神武天皇につながっていく。
日本最古の歴史書である古事記が作られてから1300年がたつ。国産み、天孫降臨、神武天皇まで、古事記のハイライトとなっているのは日向神話であり、宮崎は神々のふるさとである。これらの神々を祀った神社で結婚式をあげることは、神に見守られながら2人の門出を示すことである。日本に生まれたこと、宮崎に生まれたことを感謝し、山や海、川などの自然、そして人々とともに生きる決意を神に示すと同時に、末永い幸せと家族の繁栄を祈念する。これが、宮崎の神社で結婚式を挙げる意味、意義である。
スピリチュアルで有名な江原啓之氏は、書籍『江原啓之 神紀行』の中で、「九州は特定のパワースポットが存在しているというよりは、土地そのものが神聖な聖地として輝きを放っている。」と記述している。
同書の中で、九州のパワースポットが8か所紹介されているが、内7か所が宮崎県である。神々の足跡を感じられる宮崎県は、ご利益のある神聖な場所なのである。
芸能人が多数訪れるこ事で有名な荒立神社。猿田彦命(サルタヒコノミコト)と天鈿女命(アメノウズメノミコト)の婚礼のために建てられた神社とされ、二人の結婚が急だったために、切り出したばかりの荒木で宮を建てたのが名前の由来となっています。天鈿女命といえば、岩戸に隠れた天照大神を外に出すために舞ったことでも知られ、これが神楽の原型とも言われている。そのため芸能の神様ともされ、天鈿女命を祀るこの神社には昔から著名人が参拝に訪れています。
猿田彦命(サルタヒコノミコト)は、天孫降臨の道案内役をされた[道開きの神]として知られます。
天鈿女命(アメノウズメノミコト)は、天照大神が天の岩戸に隠れた際、その前で楽しげに[舞い踊った神]として知られます。この舞が現在の[神楽(かぐら)]の元になったと言い伝えられています。
この事から同社は、交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、厄除、夫婦和合、安産、長寿祈願、芸事の上達、厄除け、子宝、長寿などにご利益があるとされます。
境内にある「七福徳寿板木」は、思いを込めて木づちで力強く7回打つと神恵を拝受することが出来るそう。打つ音は不思議なことに約2~3km離れた旧高千穂鉄道のトンネルにこだまして聞こえる?と言われています。
2人の神の婚礼の地となされている荒立神社の「恋みくじ」はカップルに大変人気です。
神社の水で目を洗うと目の病気が治ると言われており、
古くからこの神水を求めて来られる方が後を絶たない
日本神話に語られる山幸彦・海幸彦の伝説の舞台となった
場所
山幸彦が海神の宮で逢った豊玉姫と結ばれた縁結び、夫婦和合、子授け、安産などの御利益で多くの信仰を集めてきた
古くは日向の国のみならず、大隅、薩摩からも御利益を求める人々が鵜戸への街道を辿った
昭和40年代に宮崎と日南海岸が新婚旅行ブームで賑わった
時代、鵜戸神宮参拝が旅行に欠かせないコースであった
安産子育て/縁結び/夫婦和合
結婚風習/シャンシャン馬 道中 鵜戸詣り
天照大御神を御祭神とする古社で、当社に伝わる「神明記」やその他の古文書によると、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されてと伝えられる
安産/航海安全/交通安全/厄難消除/事業繁栄
恋愛・安産など諸願成就
天孫降臨神話の地といわれる高千穂峰の山頂近くにあったが、度々の火山の爆発により文明16年(1484)に現在地にご鎮座されたと伝えられる。
所願成就
瓊々杵尊(ニニギノミコト)が天降った場所が「筑紫(九州)の日向の高千穂の槵觸峰」と記されており、その場所と考えられている槵觸峰の麓にある伝説の地です。古い石段を登ったところに、みごとな彫刻を施した古社が現れる。周辺は天真名井、高天原遥拝所など霊蹟、史跡を巡る散策コースになっている。
●ここぞ天孫降臨の聖地と言える、くしふる神社
瓊々杵尊(ニニギノミコト)が天降った場所が「筑紫(九州)の日向の高千穂の槵觸峰」と記されており、その場所と考えられている槵觸峰の麓にある伝説の地です。
古い石段を登ったところに、みごとな彫刻を施した古社が現れる。周辺は天真名井、高天原遥拝所など霊蹟、史跡を巡る散策コースになっている。
●境内看板より抜粋したくしふる神社の詳細
槵觸神社の鎮座する「槵觸峰(くしふるのみね)」は、天孫瓊々杵尊が三種の神器を奉戴して、 この国を治めるために、天降りました聖地、とされています。 そもそもこの地に社殿は無く、くしふるの山そのものをご神体として崇め奉りましたが、 元禄七年(1694年)六月十五日ご社殿建立を熱望する人々の手により、建立されました。 古来より「武神」としての信仰厚く、また神道流布根源の聖地としても信仰を集め、 隣接する「四皇子峰」とともに"高千穂の聖地"として崇められてきました。 槵觸神社の鎮座する「槵觸峰(くしふるのみね)」は、天孫瓊々杵尊が三種の神器を奉戴して、 この国を治めるために、天降りました聖地、とされています。 そもそもこの地に社殿は無く、くしふるの山そのものをご神体として崇め奉りましたが、 元禄七年(1694年)六月十五日ご社殿建立を熱望する人々の手により、建立されました。 古来より「武神」としての信仰厚く、また神道流布根源の聖地としても信仰を集め、 隣接する「四皇子峰」とともに"高千穂の聖地"として崇められてきました。
天孫降臨の地として名高い高千穂。この地の中心部に位置する高千穂神社は、天慶年間(938~947)高千穂地方の領主となり三田井家を興した高千穂太郎大神政次の頃から「十社大明神」と呼ばれるようになり旧郷高千穂八十八社の総鎮守として人々の篤い信仰を集めてきました。
創建は「社伝」によると垂仁天皇の御代となっており、平安時代から中央の記録にしばしば登場する大変由緒ある古社です。
明治6年三田井神社と改称、同28年に高千穂神社に改められ現在に至っています。
当宮は初め高智保皇神(たかちほすめがみ)と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)、木花開耶姫(このはなさくやひめ)以下三代の神々をお祀りし、千百余年前の仁明・清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されています。
神武天皇の皇兄、三毛入野命(みけぬのみこと)が御東征の途次、高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。 源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年を経た今も社頭高くそびえています。
文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。
天正年間、三田井氏が滅んで延岡領となりましたが、歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。 大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月一日別表神社に列せられました。 天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されています。
大和へ遠征するために高千穂宮を発った神武天皇が、この地で武運長久と国土の平定を祈願した…と伝えられている。
縁結び/子孫繁栄/漁業航海安全
都萬神社は、都農、霧島、高千穂と並ぶ、日向式内四座の一社。
続日本後記にも「承和4年(837)日向国子湯郡妻預官社」と記され、拝殿には宝徳3年(1451)に献上されたという日本一を誇る巨大な太刀が安置されている。
この神社には例年7月7日に行われる更衣祭という神事があり前日に浜下り(みそぎ)があり、当日は神官が浜から持ち帰った真砂をまいて神殿を清め、御神体のコノハナサクヤ姫を紅や白粉で化粧し、真新しい白衣に着せ替えます。
この儀式は、日本の結婚儀礼のはじめといわれていてこの日、短冊に願い事を書き、神前の笹竹に結ぶと必ずかなえられるといわれ、多くの参拝客でにぎわいます。
縁結び/安産子宝/漁業航海安全/家内安全
安産/教育/学問/芸術/財運/交通安全(航海の安全)など幅広くご守護をされています。
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