高千穂神社
- 住所
- 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037
- Tel
- 0982-72-2413
- 初穂料
- 3万円
- 別費用
- [三三九度用]のお酒を1本ご用意下さい。ご両家名を記した熨斗を貼った清酒もしくは焼酎にてお願い致します。尚、酒類は問いません。(高千穂町内の酒屋さんでも対応頂けます)
- 収容人数
- 30名
- 同社での挙式風景
天孫降臨の地として名高い高千穂。この地の中心部に位置する高千穂神社は、天慶年間(938~947)高千穂地方の領主となり三田井家を興した高千穂太郎大神政次の頃から「十社大明神」と呼ばれるようになり旧郷高千穂八十八社の総鎮守として人々の篤い信仰を集めてきました。
創建は「社伝」によると垂仁天皇の御代となっており、平安時代から中央の記録にしばしば登場する大変由緒ある古社です。
明治6年三田井神社と改称、同28年に高千穂神社に改められ現在に至っています。
当宮は初め高智保皇神(たかちほすめがみ)と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)、木花開耶姫(このはなさくやひめ)以下三代の神々をお祀りし、千百余年前の仁明・清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されています。
神武天皇の皇兄、三毛入野命(みけぬのみこと)が御東征の途次、高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。
源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年を経た今も社頭高くそびえています。
文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。
天正年間、三田井氏が滅んで延岡領となりましたが、歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月一日別表神社に列せられました。
天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されています。